「こっちとあっち」往復書簡

谷川俊太郎さん(詩人)
樋勝朋巳さん(銅版画家、絵本作家)
「こっちとあっち」で往復書簡 

画家の樋勝朋巳さんとは、 タイトル『こっちとあっち』のごとく、 向き合っての打ち合わせはせずに、 原稿をキャッチボール。絵本ができあがって、 はじめてお便りを交わされました。 おふたりのやりとりを、そっとご紹介します。



樋勝朋巳さん
樋勝さん

谷川俊太郎 様

初めまして。樋勝朋巳と申します。
このたびは絵本作りをご一緒させていただきましたこと、心より感謝申し上げます。
本のお話をいただいた頃、家の庭に2匹の野良猫がやって来るようになりました。
それまでの私は猫が苦手でしたが、仲の良い2匹にすっかり心を奪われてしまい、絵本のラフは2匹の猫ではじまり、彼らと共にこの絵本を制作しました。
谷川さんの詩は本当に広くて大きくて、昨日までの詩の解釈が次の日の朝には違う解釈に変わり、ふとした瞬間にまた違う解釈が生まれ、また別の朝には新しい意味を発見する。
少しでも谷川さんに近づこうとしましたが、当たり前ですが無理であり、最終的には谷川さんと私の「こっちとあっち」で描くことしかできませんでした。
初めにいただいた詩は「とんねる」というものでした。
一つの場所にずっといるぼくと、友達とのやりとりの詩。
最初の印象は、詩の中のぼくがどこか達観していて、自分以外のものや出来事をそういうものだと受け止める、成熟した子どものように思えました。でもちょっぴり寂しげで、そのぼくをどうやって赤ちゃんからの絵本にしていけばよいのか考え続けました。
ラフのやりとりを重ねていくうちに「とんねる」という詩が「あっちとこっち」になり、わかりやすい言葉に置き換えていただいたように感じました。そして最終的に「こっちとあっち」という形で、赤ちゃんからの絵本として完成しました。
最近、「とんねる」を読み返しています。
「とんねるのぼく」に対して、「こっちとあっちのぼく」でよかったのかなと、時々思ってしまいます。谷川さんの詩の世界に、私のようなヘンテコ絵描きがご一緒させていただいてよかったのだろうかと、今更ながら心配しています。
谷川さんの詩の大きさを、身をもって体験したありがたい日々でした。

樋勝朋巳

谷川俊太郎さん
谷川さん

樋勝朋巳 様

うちの庭にも野良猫が来ていたのですが、残念ながら近頃現れなくなりました。ぼくが詩の材料にしなくなったからでしょうか。樋勝さんが猫を登場させてくれたので、久しぶりに猫に再会して懐かしく思いました。
詩はひとりで書くことがほとんどですが、絵本はテキストからはじまっても、絵描きまたは写真家が主役です。今回も登場人物がどんな存在になるかなあと楽しみにしていたら、思いがけずこっちとあっちで違う生きものが出てきたので、話が立体的になりました。おまけにこっちとあっちを行き来するのは、パラシュートや空飛ぶ帽子? びっくりしたのはお土産のタコです(ぼくはタコが苦手)。
それにしても絵を描くこっちの子は(樋勝さんのことじゃありませんよ)、生まれてから一度も床屋さんに行ったことがないんでしょうね。こっちには床屋さんがないのかな。子どもの頃はまだ住所なんてコトバを知らないから、こっちとかあっちとか、こことかあそことか、近くとか遠くとかで自分を中心に世界を捉えていました。今ではグーグルマップでどこへでも行けますね。たまには迷子になるのも楽しいのに。

谷川俊太郎

樋勝朋巳さん
樋勝さん

谷川俊太郎 様

お返事をいただきまして誠にありがとうございます。
谷川さん、おみやげを苦手なタコにしてしまってごめんなさい。
「めずらしいおみやげをくれました」の一行を読んだとき、ぱっとタコが頭に浮かんでしまいました。あっちの友達は自由気ままにあちこち出かけていて、海に潜っていたら珍しいタコに出会います。喧嘩していたけれど、すぐにこっちのぼくにも見せてあげたい気持ちになって、船に乗せて連れて来ました。あっちの友達にはこっちのぼくの気持ちがよくわからないから、いつも喧嘩になってしまいます。けれど、綺麗なものや珍しいものを見れば、一緒に見たいなあと思うし、美味しいものを食べたら、食べさせてあげたいなあと思っています。
こっちのぼくの髪型についてのご感想もありがとうございます。谷川さんの視点、とても新鮮でした。これまでの銅版画制作の中で小さい人を描くとき、この髪型で表現することが多く、こっちのぼくが今まで描いてきた自分の中の小さな人とどこか似ているところがあり、同じ雰囲気で描くことにしました。
確かにこの髪の毛のボリューム、きっと床屋さんには行ったことがありませんね。
谷川さんのお庭にも、野良猫が来ていたとのこと。
我が家の野良猫ですが、この寒さでも頑として人間の家には入ってくれません。去勢手術済みの耳カットのある野良猫ですが、いまだに人間には全くなつかず、一度も触れさせてもらえないまま、庭の小さな小屋を冬仕様にして暮らしています。3回目の冬です。
この小さな毛むくじゃらが朝日を浴びている姿を見ていると、野生の生き物の気高さを感じます。悲しみも喜びもぜんぶ知っているこの小さな生き物の世界は、人間には計り知れない領域なのだなあと日々考えさせられます。
寒さが厳しい日が続きます。どうぞ暖かくしてお過ごしください。

樋勝朋巳

谷川俊太郎さん
谷川さん

樋勝朋巳 様

私は何故か昔から銅版画が好きで、1957年に出した最初のエッセー集『愛のパンセ』ですでに浜口陽三さんと南桂子さんの作品を2点掲載させてもらいました。もちろんイラストとしてではありません、小さいけれど独立した美術作品として2点は意味が詰まっている文章の中に、言葉では捉えきれない美しさ、面白さをもたらしてくれました。
どちらかと言うと美術より音楽を通して自分に目覚めた人間なのですが、私は詩を書きはじめてすぐ絵本というメディアに関心を抱くようになりました。詩よりも絵の方が子どもの心にじかに届くと思ったし、詩だけでは表現できない世界を、絵本は作れると考えたからです。絵本の創作に関わってみると、言葉と絵や写真が組み合わされると、子どもだけでなく、大人の世界の見方まで深めることができると思うようになりました。
子どもの頃〈ジャーマンベーカリー〉という店に、「猫の舌」という名前の舌の形をした薄いチョコレートがあってよく母が買ってくれました。おかげで私はフランス語とドイツ語で猫の舌と言えるようになりました、〈ラグデシャ〉〈カッツェンツンゲン〉。自慢したい訳ではないんですが、今でも覚えてます。〈猫舌〉という日本語を知ったのはもっと大きくなってからです。
ではまた、お元気で。

谷川俊太郎



谷川さんからのお返事を読んで、樋勝さんは谷川さんに猫の舌型チョコレートをプレゼント。
「絵本を作れることに感謝し、自分の思う美しさを大切にしていきたいと思います」というお便りとともに……。


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