Living at the same time 同じ時を生きて

10/12更新

「わたしは、肌の色という 自分にはどうしようもないことで、
これからも屈辱を味あわされ続けるのがいやだったのです」
アフリカ系アメリカ人で、「公民権運動の母」と呼ばれるローザ・パークスの言葉だ。
すぐに、「わかるわかる」と頷きたくはないし、決して軽い言葉でもない。
婚外子(他に言葉はないのか?)であるわたしも、
長い間「自分にはどうしようもないこと」で、屈辱を味あわされたり、
お角違いの同情をされたりするのがいやだった。
「どけ、どけ、どけー」。いつもこころの中では、叫んでいた。



どんな時でも平常心を保とう

それを失いそうな時ほどそうするのだ

自身に向けてそう言い聞かせてきた

そしてわたしたちはいま

再び自身にそう問いかえす時代と社会を

迎えている

平常心を保つために必要なモノやコトは

ひとそれぞれだろう

わたしにとってそのひとつはことばだ

ことばはことばでしかないのだが

こんなにもたくさんのことばが溢れているのに

ことばが見当たらない

それでもわたしはことばを探しつづける

遠い昔に聴いたあの歌 ♪Catch a falling star……

流れ星をキャッチして大降り大荒れの日のために

キープしておこうというフレーズを思いだしながら


落合恵子



10/10更新

最近、以前読んだ絵本を読み直している。
あるんだなあ、新しい発見が、それが何度目であっても。
クレヨンハウス一階。
「人種差別を考える」コーナーや「グリーフケア」のコーナー、
目を逸らすことなく子どもたちに伝えたいテーマのコーナーなど、特別企画も充実。
いつも言っていることだけれど、
絵本(物語にも)に年齢制限なし、だ。

10/8更新

「個人が物申せば社会の輪郭はボヤけない。
今、力のある人たちに、自由気ままに社会を握らせすぎだと思う。
この本には、そういう疑念を密封したつもりだ」
『日本の空気』 武田砂鉄 著、晶文社。

ずっと「休校」を余儀なくされたクレヨンハウス朝の教室。
再開の一回目は、武田砂鉄さん。
数年前に読んだご著書を再度読み、新刊も開く、「そうだっ」と。
10月31日(土)いつも通り朝9時スタート。

》原発とエネルギーを学ぶ朝の教室|10/31 武田砂鉄さん講演会

10/6更新

ようやく、掛け値なしの秋、と言いたい天気が。
週末にはまた崩れるそうだが。
クレヨンハウス東京店はいま、夏の名残の千日紅の赤紫、トレニアのカテリーナの薄紫、
イソトマの紫など、紫の濃淡の花が。
それらを愛でながら、冬から来春にかけて咲いてくれる種子を先日蒔いた。
動物より、植物のほうがつよいなあ、といつも思う。
政治がいよいよ、あらゆる方面に介入。
学問の自由はどこに?


9/23更新

……かつて考えていた「老い」とは
まるで異なるものがここに。

自分とのひそやかな約束、それを
わたしは『明るい覚悟』(朝日新聞出版 刊)
と呼ぶことにした。


9/19更新

……多くは要らない。
  丁寧に生きるために
  むしろ少しがいい……。

出たばかりのエッセイ集
『明るい覚悟 こんな時代に』
(朝日新聞出版 刊)の
帯に記した言葉です。

9/17更新

……明日18日は
日比谷野外音楽堂で、
久しぶりの「さようなら原発」の集い。

コロナ禍のもと、
ほとんどすべての集会が延期され ていたのだが。

わたしも参加する。
ご無理のない範囲で、あなたもご参加を。

9/9更新

夕暮れが早くなった。
朝の風が、
驚くほど涼しくなった。
9月なのだ。

トレニアの花の紫が、
より鮮やかになった。

9月は紫系の花が
似合う季節かもしれない。

朝顔も
むしろ真夏より
多くの蕾を
つけはじめている。

9/4更新

権力というのは、
その身近にいる者にとって、
より美味に思えるんだろうね。
政権与党の総裁選の報道を見ていると、
つくづく思う。

わたしたち、というかわたしは、
権力を否定してきた。
今でもそうだ。

が、否定してきたそれを
はじめて欲しいと思ったのは、
2011年3月11日、
そして、それ以降の日々だった。

力があれば、
あれもこれもそれもできるのに、と。

未決の事項も山積している。
次の首相は? に
熱くなる報道に接して思う。

メディアは並行していいから、
歴代最長になった一強政治の
負のレガシーを
いまこそ問い直すべきだ、と。

9/6更新

新しいエッセイ集が出る。
『明るい覚悟……こんな時代に』
(朝日新聞出版)
多くは要らない。
丁寧に生きるために、
むしろ少しがいい、と
帯のコピーには書いた。

75歳になったわたしが辿り着いた
「明るい覚悟」。
22のエッセイの各タイトルは、
はじめて動詞にした。
「脱ぐ」「放つ」「抗う」 「祈る」「忘れる」「つなぐ」etc

すっきりすんなりと
枠に収まる名詞では落ち着かない。
やはり動詞だ、と。

エッセイを書いている最中に
頭に浮かんだ絵本の紹介つき。
7日頃に本屋さんに並ぶそう。

よろしく!

9/1更新

9月だ。遠い昔、歌詞が好きな9月の歌があった。
「SEPTEMBER SONG」。スウィートなラブソングだ。
♪……9月になれば12月はそこまで来ている。残り少ない日々をあなたと共に過ごしたい……♪
こうやって訳してしまうと、「あ、そ」になりがちだが、人生そのものをうたった歌として聴くと、感慨深い。
わたしはいま、わたしの何月を生きているのだろう、と。
わたしの場合、9月は当然過ぎた。11月半ばも過ぎた?
いまは何月でも、自分を生きていくしかない。それは消極的な意味ではなく、積極的な意味として。
自分の外側に、人生の見本はない。


8/28更新

酢の物を
意識してとろうとしている。

キュウリ、ワカメ、玉ねぎ、
キャベツ、レタス、大根等。
洋風のドレッシングや
コールスローもいいが、
和風の三杯酢も美味だ。

三杯酢の中に、
すりごまや
おろし生姜を入れたりして。
柚子胡椒もいい。


8/25更新

老眼鏡を新調した。
いつまで元気でいられるか、
わかんないのに、ね。


8/22更新

キャロリン・ハイルブラン(ミステリーを書く時はアマンダ・クロス名)の
『女の書く自伝』(みすず書房)を久しぶりに読み直している。

……権力とは、
どんなものであれ
行動に不可欠な論述のなかで、
自分の立場をとる能力であり、
自分の役割を重要視させる
権利である。
これは、
米国国防総省(ペンタゴン)にも、
結婚にも、
友情にも、
政治についても言える。

まさに、その通り! である。


8/19更新

ここ数日ほど、一日の終わりには、
プラターズの懐かしい曲を聴いている。
『煙が目にしみる』、『トワイライトタイム』、『夕陽に赤い帆』。
彼ら彼女らの歌が、「黒いのはレコード盤だけで充分だ」と言われたのは
そんなに遠い過去ではない。


8/17更新

向日葵が咲きました。
長雨が続いたせいか、わが家の向日葵は丈だけが伸びて、
花は小さい。
それでも、今朝の日差しの中で、めいっぱい咲いている。
2020夏。2年後、10年後、
わたしたちはこの夏をどんな風に振り返るのか。


8/15更新

75回目の終戦の日。
平和とは、どんな状態をいうのか?
反戦・非戦は、どこから何から始まるのか?
改めて自分に
引き寄せて考えたい。


8/13更新

トニ・モリスンの『青い眼がほしい』(早川epi文庫)を読み返す。
白人社会の、と敢えていうまでもなく、米国における 社会とは当然、白人の価値観によって運営されている。
今回の白人警官によるアフリカ系アメリカ人の男性への暴力、殺害事件 の例をもちだすまでもなく。
1970年に発表された彼女のデビュー作だ。


8/11更新

ふっと、ため息をつく夕暮れ。
一体、このため息は何に対するものなのか?
コロナ禍そのものというよりも、なぜにかくも
具体的な対策が後手々々になっているのか、という苛立ち。
種子から育ってくれた白花夕顔に、傘を閉じたような蕾がつきだした。

8/9更新

1945年8月9日。午前11時頃。
長崎市松山町の上空。米軍の爆撃機がプルトニウム原爆を投下。上空で爆発。
先の広島から、そして長崎から、わたしたちは何を学び、何を引き寄せ、
何を自らのテーマにしたのだろう。コロナ禍で迎える75年目のこの日。


8/6更新

「ちちをかえせ ははをかえせ」から始まる
峠三吉さんのあの詩。
「わたしをかえせ わたしにつながるにんげんをかえせ」
「にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわをかえせ」

朝いちばんのセミが啼きだす小さな庭で声にしてみる。
あの日から、わたしたちはどこまで
「くずれぬ平和」に近づいただろう。それとも。
「経済を回す」という表現が棘のように喉に刺さる。


8/5更新

……どんな時でも平常心を保とう。それを失いそうな時ほどそうするのだ。
自身に向けてそう言い聞かせてきた。
わたしたちはいま再び、自身にそう問いかえす時代と社会を迎えている。
平常心を保つために必要なモノやコトはひとそれぞれだろう。
わたしにとってそのひとつがことばだ。
ことばはことばでしかないのだが。
こんなにもたくさんのことばが溢れているのに、ことばが見当たらない。
それでもわたしはことばを探しつづける……。

新型コロナウイルスの感染拡大に不安を覚えながら、「同じ時を生きて」というタイトルで、短い文章を書き始めたのは4月だった。そのとき最初に記したリードが上掲のものだったか。
このひと月余、休んでしまった。
再び書き始めたい。ことばを探して。


8/2更新

8月。
残念なことに
新型コロナウィルスの感染者は拡大している。
多くの市民は検査の拡充を求め続けてきたのに。
肝心の国会は閉会。
一体この国は市民のいのちと安全をどう考えているか。
心のマスクをとって、
イデオロギーの違いも支持政党も超え、
「いのち」から発言! 
諦めず、後ずさりせず。 
こころにマスクをするのはやめよう。
政治の無策のつけを、
市民が支払い続けるなんて異様だ!

漏斗型の白いサンパラソルが咲いている。
母が逝った夏にも咲いていた。


6/29更新

朝顔、夕顔、るこう草などの蔓が伸びている。
「こんな時代なのに」、
とふっと深い息をひとつ。
ずっと息が浅かった。
あとひと月もすると、この夏最初の花がついてくれるだろう。
今日を迎え、無事、今日を見送ることのありがたさをかみしめる。


6/27更新

久しぶりにビリー・ホリデイの
『ストレンジ・フルーツ』を聴いている。
「奇妙な果実」と訳されるこの歌と同名の彼女の評伝がある。
南部に行けば、大きな樹木の枝から下がる奇妙な果実がある。
太陽に焼かれ、風にゆすられるあの果実は……。
リンチされたアフリカ系の人々の遺体……。
そんな歌だった。
歌った彼女自身、肌の色で、女性であることで、
さまざまな差別を受けてきたひとりである。


6/25更新

アメリカ合衆国では人種差別への抗議活動が続いている。
5月25日、ミネソタ州での白人警官による
アフリカ系の男性への暴力、そして殺人事件が発端だった。
メディアの中には抗議する人々を
「暴徒化した市民」と報道するものもあるが、
大多数は「暴徒」ではない。
米国の大手の企業の一部から、
この抗議活動へのメッセージが。
たとえば「ここで沈黙することは、差別の共犯者となることだ」とか、
「この国、問題なんてないという風に装うのはやめよう」とか。
こういう企業がこの国にも欲しい。


6/23更新

土曜日、クレヨンハウスの店頭で、
懐かしい顔と再会できた。
入り口で手指の洗浄からはじまって、
呼びかけにみなさん積極的に参画。
子どもの声が聞こえるって、
それだけで嬉しい。


6/16更新

堕ちてゆく 炎ゆる夕日を股挟み
三橋鷹女の句だ。
昔から、烈しい俳人だと思っていたが。
ちゃんと向かい合ったことがなかった。
そろそろ古書店巡りをしたいのだが、
「もういいかい?」


6/14更新

大きく欠伸をした。欠伸って、どうしてこんな漢字を書くのか。
どこかで聞いたことがあるような。
グーグルを調べれば出ているだろうが、ま、いっか。


6/12更新

きくちちきさんの『しろ と くろ』(講談社刊)。という絵本。
白い猫と黒犬の距離が、少しずつ少しずつ縮まって……。
こんな時だからかもしれない。
昨日の続きの今日が、昨日とちょっと違う今日が、とてもいとおしい。


6/10更新

『かなしみが やってきたら きみは』という絵本がある。
(エヴァ・イーランド、いとうひろみ訳、ほるぷ出版刊 )
かなしみという感情とどうつきあうべきか、
忌み嫌って、逃げることばかり考えていない? ちょっとつきあってみたら?
と、この作者はいう。
確かにそうかも……。でも、いまはつきあいたくないなあ。


6/8更新

女性画家たちの戦争、死にゆく人の17の権利、人はなぜ悪をなすのか、
鍵盤音楽の歴史、イン・アメリカ、死刑囚の有限と無期囚の無限、
詩歌と戦争、軟骨的抵抗者、ハムレットの母親、隣人記、初日への手紙、
トラウマの医療人類学……。
最も近くの書棚に並んだ書名の一部。
ただ、それだけ。


6/6更新

わたしたちは、名詞ではなく、動詞で生きている……。
そんなふうな言葉が、なにかの本にあった。
確かに。
生きること、暮らすことは「動詞」なのだ。
こうしている間でも。


6/4更新

20代の頃の写真がでてきた。
いまのわたしから、きみにかけてやれる言葉は…。
あの時はあの時で、一生懸命だったんだよね。
それだけ。
記憶が、ひとを支えてくれる場合もある。


6/2更新

さほど大事ではないと思えるものを
ひとつひとつあげていく。
そしてそれらを
ひとつひとつそぎ落していく。
その過程で、
見えてくる、見えてくる。
ほんのわずかな、大事なものが。
これだけでいいのだよ、と。


5/31更新

五月の快晴の日曜日。
知らない間に、本格的な春がやって来て、
知らない間に、初夏になり……。
感嘆するのは、自然と呼ばれるものが持ち得る
さまざまな「持続可能な力」です。
その自然を自らの手中に収め、
制圧できたと思う人間の傲慢さ、醜悪さ。
改めてそれらを考えた4月、5月。


5/29更新

本当に大事なものってなんですか?
市民ひとりひとりにとって。
F35やイージスアショアの配備は「あなた」にとって
大事なものですか?「わたし」にとっては?
しっかりと考えましょう。
いま、国にとって市民にとって、国会にとっても
最重要課題は一体なんなのかを。


5/27更新

矢車菊の藍色が、光に輝いてみえます。
ロベリアの紫の濃淡も。
上に向かって駆け上がるように
花を次々につけていく、涼姫の薄紫も。
自然の色の、なんと深くて豊かなことか。
長いお休みをいただいていた間、
クレヨンハウスは、例年以上の花盛り。
なんだか悔しいほど。
こんな時だからこそ、
季節の花にいっぱいに咲いてもらいたいと願っていましたが、
通じたのかも、思いが、
花たちに、緑たちに。


5/25更新

ひとは記憶からできていると記されたのは、長田弘さんでしたっけ?
確かに。
思い出してごらん、子ども時代で、最も嬉しかった記憶。
もっとも「美しい」と感じた風景。
もっとも「大好き」って思った大人のことを。
それらがあるなら、うん、なんとか生きていける、どんな時代も。


5/23更新

「不安で、呼吸が浅くなります」という声をよくききます。
背筋や腰を伸ばして椅子に腰かけ、大きく息を鼻から吸って
まるくすぼめた口から吐く。何度かこれを繰り返す……。
乱気流気味の脳内の風景を、すっきりとしてくれます。


5/21更新

「明日が見えない」時代なら、わたしたちひとりひとりが自前の「明日を創」ればいい。
政治はもとより経済も福祉も、そして、置き去りにされがちな文化も人間関係も……。
今回のコロナ禍で見えた不信や不穏、不誠実さ(いまにはじまったことではないが)を
ひとつひとつ問い直し、ひとつひとつを覆し、
「誰をも置き去りにしない時代と社会」、「誰をもとりこぼさない」行政に向けて、
改めてはじめの一歩を踏み出してみない?
「諦めないわたしたち」を見せつけてやろう!


5/19更新

コロナ禍のもと、「明日が見えない」時代です。
そして、こんな時に限って「夜陰に乗じて、よからぬ改変」を
企てるものもいます。でも、わたしたち、めげませんよね。
いつの時代だって、誰にとってだって、ここにはまだ来ていない「明日」は見えないものです。
だったら、今朝のいっぱいの味噌汁をていねいにつくり、ていねいに味わい、
目の前の今日と向かい合おう。


5/14更新

事実は語られ、記されなくてはならない。
真実には光が当たらなくてはならない。
いかなる理由であっても、事実と真実が隠される時代と
社会は、わたしたち市民の社会とは決して言えない。


5/12更新

「自粛」ということばと概念が、
今後、どのような意味を持ち得るのか、
注意深く見つめていきたい。
先の戦争で、これらの概念はどのように使われ、
どのように、ひととその暮らしを縛っていったか。
ひとを縛るのは、その概念を自らのミッションとして
受け入れた、外側にいる他者である場合が多い。
が、自らの内側にもその「他者」はいないか。
自前で考えることを放棄したものは、他者を縛り、
選別し、荒々しい同調圧力で、他者をなぎ倒す。


5/10更新

クレヨンハウスのアウトテリアはいま
晩春から初夏にかけての花盛りだ。
一年草はもちろん、宿根草も。
「ああ、あなたはここにいてくれたのだね」
上向きになれない心に、束の間の喜びを連れてきてくれる。


5/8更新

いつの時代でも、自然災害や人災、疫病等で
かけがえのないいのちを落とすのは、
往々にして「いままでそこにあった」社会で、「恵まれない」
と呼ばれるひとであることが多い。
いまがいつであっても、ここがどこであっても、である。
災禍が収まれば、おおかたはその存在を忘れてしまうのだ。
その距離は、ソーシャル・ディスタンスよりもフィジカル・ディスタンスよりも
はるかにはるかに、かけ離れている。


5/6更新

元気ですか?
元気でいてください。
向かい合って、思いっきりおしゃべりして、
笑い合える日に向けて、
どうかどうか元気でいてください。

4/30更新

「自粛」って言葉は
内発的のそれとは、どこか違うから
抵抗あるけれど......
しょうがない
「自粛」しよう
小さな庭の手入れをして
未読の本を改めて開き

生きることに
リセットなんてないよなあ、と
いう言葉にぶつかる午後
勿忘草が咲いている


4/28更新

「隠れ家」特集なんていうのを
雑誌がやっている。
人里離れた、いわくありげな宿だったり、
リゾートホテルだったり
食事処だったり
「隠れ家」なんてものは
自分の中に持っていればいいじゃん
と うそぶく4月
満天星つつじが咲いている


4/26更新

Our body is made of what we eat
わたしたちの身体は わたしたちの食べるものでできている、
と書いている会議室に、誰かが入ってきた。
慌ててポテトチップスの袋を隠す。
ポテチにはなんの罪もないのに、と苦笑をひとつ。


4/24更新

かの大統領が率いる国では
アングロサクソン系ではなく
ヒスパニック系やアフリカ系の人々が
コロナウィルスに感染する割合が多いと
報道されている
いつの時代でも
どこであっても
ひとつの状況下で
最も苦しむ集団は
  過去からすでに苦しみ続けてきた人々であるという
この壁


4/22更新

「絶対」なんて「絶対に」ないのだ
という時ぐらいしか使えないことばだ
10代の頃から
「普通」ということばも使えなかった
往々にして「普通」は
「普通じゃない」という概念と
ワンセットで使われるから
そうして 「普通じゃない」と想定したグループを
切り捨てるから
ことば狩りには当然反対だが
実にやっかいだ
ことばってやつは


4/20更新

過度にペシミスティックになっても
しょうがない。
かといって
過度にオプティミスティックになるのも
なんだか妙だ。
ちょうどいいところ
ちょうどいい距離で
神経とやらの振り子を適度に揺らしながら
暮らしていたいのだけれど
「適度」というのも実に難しい
過度に傾くほうがはるかに容易だ

夕暮れはロベリアのうす紫から広がっていく


4/17更新

読んでいない本が
こんなにも たくさんある
たぶん
人生の最期が来るまでに
読み終えることは できないに違いない
こんなにも未知が置き去りにされている。それは
無念か? 惜しいか? 残念か?
違う と わたしの中のわたしが否定する
未知が 未知のまま
まるごと ここにある ということの
なんという ゆたかさ!
なんという ふかさ!
なんという いとおしさ!

誰もいない 書店の夜
わたしは 陽気な迷子となる!

4/13更新

「詩人の長田弘さんのことば」

……ことばって、何だと思う?

  けっしてことばにできない思いが、

  ここにあると指さすのが、ことばだ……

(クリムトとの詩画集『詩ふたつ』。そのひとつにあたる

『花を持って、会いにゆく』クレヨンハウス刊)から。

長田弘/詩 グスタフ・クリムト/画
クレヨンハウス